(『サンパウロ新聞』 1998年8月5日付)
クワリブラーボ優勝 最大のブラジル大賞で
〜テレビ東京が取材に
ブラジル最大の競馬レース「ブラジル大賞」(GT、芝2400b、4歳以上)が2日、リオデジャネイロ市のブラジル・ジョッキークラブ(ガヴェア競馬場)で華やかに開かれ、圧倒的一番人気のクワリブラーボ号(牡4歳)が、2着以下に2馬身差近くをつけて優勝。1着賞金10万レアルを獲得し、国内のサラブレッドの頂点に立った。これで、同レースは98年のキンジキラーチス号、97年のジムワキ号に続き、3年連続でサンパウロ所属馬の優勝となった。なおこの日、日本のテレビクルーが初めて同レースを取材した。
レースは1周目をリオのグラビン号が先導。これを見ながらリオのフールアラウンド号、ミナスのプリンスアリ号ら有力馬が2番手集団を形成。注目のクワリブラーボ号はいつものように後方からの競馬となり、2番人気の南十字星大賞(リオ・ダービー)馬ベルニエール号がクワリブラーボ号をマークするように追走する。レースが動き出したのは第3コーナー過ぎから。最終コーナーではリオのガブリッツ号が内側から先頭に立ったが、直線に入ると馬群の外から追い出したクワリブラーボ号が末脚を爆発。残り200メートルでガブリッツ号らを並ぶ間もなく交わし、2分26秒3の好タイムで快勝、横綱相撲のワンマンショーで栄光のゴールを切った。
手綱を取ったルイス・ドゥアルテ騎手は、馬の力を信じた冷静な騎乗ぶりが光り、同レース初制覇。「楽勝でした」とコメントを残しながら、満面の笑顔の中に一瞬目頭を押さえるシーンも見せた。クワリブラーボ号とは前走の「サンパウロ大賞」(GT、芝2400b)からコンビを組み、その時も直線外からの鮮やかなごぼう抜きで、2着のタカドゥン号以下に7馬身差の圧勝を飾っていた。
一方、サンパウロ勢にまたも優勝をさらわれ、悔しいのは地元リオの競馬ファン。一般席スタンドからは、口取り式の後、コースで手を振る優勝騎手と優勝馬に、祝福の拍手に交じってやっかみ気味の口笛も聞かれた。またレース終了直後の会員席からは、コースを引き上げる2着の地元馬ガブリッツ号に、優勝馬に負けない大きな声援と拍手が送られていた。
なおこの日、日本の社団法人農林放送事業団が、日本のテレビとしては初めて同レースを取材した。業務第一部の片野良雄部長によると、最近はブラジル産の馬が北米で活躍していることもあり、南米の競馬が注目されつつあるという。制作部の熊野章ディレクターも実際に取材してみて「思っていた以上に、いい馬が多い」と語っており、「日本に比べると、馬が落ち着いている。ここまでカメラが(馬に)近づけるのは、世界でもそんなにないですね」と強い印象を持ったと話した。
一行はブラジルの前にも、日本との修好百周年を迎えたアルゼンチンの競馬も取材している。この模様はテレビ東京系の番組『世界の競馬』のアルゼンチン・ブラジル編として、9月15日午前8時から1時間番組で放映される予定。
≪優勝馬クワリブラーボ号≫
1994年10月7日生まれ、牡4歳。芦毛。父プンク、母シマーレ。
生産・所有=アラス・フィリップソン(サンパウロ)。
所属=サンパウロ・ジョッキークラブ(カンピーナス・トレーニングセンター)のエルメリーノ・サンパイオ厩舎。
11戦8勝。
主な戦績=〔97年〕サンパウロ・ダービー1着 ※サンパウロ3冠馬(史上8頭目)
(アルゼンチン)カルロス・ペレグリーニ国際大賞2着
〔98年〕(アルゼンチン)ラテンアメリカ・ジョッキークラブ協会大賞4着
サンパウロ大賞1着
ブラジル大賞1着
※ラテンアメリカ・ジョッキークラブ協会=南米競馬機構
Assoc.Latinoamericana de Jockey Clubes
小生は昔、こんなものを雑誌と日本語新聞に載せちゃいました | ||||
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1997.5.20 | 1995.11.22 | 1997.6.27 | 1998.5.30 | 1998.8.13 |
1998.1.21 | .11.24 | .8.13 | .6. 2 | .8.18 |
.3.18 | .11.25 | .8.15 | ||
.8. 5 | .11.28 | .8.16 | ||
.12.21 | .8.19 |