(『サンパウロ新聞』 1997年8月13日付)

〜 第3回「日本杯」レースA 〜
南井騎手がサンパウロに到着

 例年、日本中央競馬会(JRA)が誇るトップジョッキーを日本から招待して行う「第3回日本杯レース」(JRA、同ジョッキークラブ、サンパウロ新聞社主催)が17日、サンパウロ・ジョッキークラブで開かれる。12日早朝、今回の同レースに招待された南井克巳(みない・かつみ)騎手(44)らJRA関係者一行がサンパウロに到着した。本社やジョッキークラブを訪問した南井騎手は、誠実な人柄をうかがわせる口調で「サンパウロまで来ましたから、いいレースをして、良い勉強をして帰りたい」とレースへの抱負を話していた。

 南井騎手は1953年愛知県刈谷市生まれ。中学卒業後、JRA馬事公苑長期騎手課程に入学。2年間の課程を修了した後、71年に騎手デビューした。そのデビューした日の2戦目には早くも初勝利を飾り、名騎手の素質を見せている。

 以後、師にあたる工藤嘉見調教師の厳しい教えを受けながら順調に勝ち星を増やし、現在ではJRA屈指のトップジョッキーとして名を知られるようになった。タマモクロス号、オグリキャップ号、ナリタブライアン号をはじめ、南井騎手の手腕で名馬と称された馬は数多い。

 8月3日終了現在の通算騎乗回数は12,292回で、うち通算勝利数は1,447回に及ぶ。また自身の持つGTレース(格、賞金ともに最高のレース)の年間勝利数5勝、1日に上げた勝利数6勝の記録は、現在でもJRAの最多記録となっている。

 12日午前、南井騎手ら一行は本社を訪れ、水本エドアルド社長らと懇談した。南井騎手は一昨年騎乗した河内洋騎手や、昨年騎乗した岡部幸雄騎手からサンパウロでの経験を聞いていたといい、岡部騎手は「ブラジルの騎手は結構上手」「コースは乗りやすい、良い馬場だ」と評価を、また河内騎手は「最初に鞍を付けない馬を連れて来たのでびっくりした」と異国ならではの体験を話していたという。その上で、レースに臨む抱負を「初めてなので、自分の目で見て体験しないとやはりわからないから、これを良い経験として勉強にしたい」と謙虚に話していた。

 一行は続いてジョッキークラブを訪問し、ビセンテ・レナト・パオリッロ理事から「外国からの最高のお客さまとして、皆さんを迎え入れます」と歓迎を受けた。そのあと馬場の下見を行い、コース傾斜や馬場の硬さなど、日本と違った感触を確かめていた。

 なお南井騎手は16、17日の両日、「日本杯」レースのほか一般レースにも騎乗する。騎乗回数は6回から8回の予定。この両日はスタンド前にも食べ物の屋台広場が設置される。

(『サンパウロ新聞』 1997年8月13日付 コラム「モザイク」)

 サンパウロの競馬は平日なら夜間、土、日曜なら昼間の開催になる。今回来伯した南井騎手が騎乗するのは土、日曜だが、日没の早い冬のため後半は照明を使用したナイター競馬となる。サンパウロの照明は日本の競馬場ほど明るくないようで、一昨年に騎乗した河内騎手は「暗い、暗い」とぼやいていた。しかし河内騎手はそのナイター初騎乗で初勝利を上げており、さすがトップジョッキーともなると腕が違うよう。カクテル光線に映える南井騎手の勝利の姿を期待したい。

小生は昔、こんなものを雑誌と日本語新聞に載せちゃいました
▽ ブラジル、南米競馬関係 ▽ 第1回「日本杯」レース ▽ 第3回「日本杯」レース ▽ 「長良川花火大会」
 記念レース
▽ 第4回「日本杯」レース
1997.5.20 1995.11.22 1997.6.27 1998.5.30 1998.8.13
1998.1.21 .11.24 .8.13 .6. 2 .8.18
.3.18 .11.25 .8.15
.8. 5 .11.28 .8.16
.12.21 .8.19