1995-1999 ブラジル サンパウロで、競馬。【HOMEへ】

競馬ファン履歴

 東京、中山で友人らの薫陶を受けた後、1990年 浦和で本格デビュー。
 以降、南関東(大井、川崎、船橋、浦和)を主戦場に、東京、中山、JRA新潟、笠松、園田を巡る。
 1995年から主戦場をサンパウロに移し、リオデジャネイロ、クリチーバ、サンイシドロ、ラプラタを巡る(ほかベロオリゾンテ、ファゼンダ・リオグランデ、アスンシオン、ブエノスアイレスを訪ねるが休催日でレース観戦できず)。
 1999年 日本に帰国。後、現在まで(原則)競馬ファン休養中。
 好きな競走馬は、すべての地方所属馬と、すべての南米所属馬。

小生は昔、こんなものを雑誌と日本語新聞に載せちゃいました ――

『優駿』(日本中央競馬会)1996年1月号 74ページに囲み記事“初のブラジル遠征で2勝の成果 ―― 河内洋騎手「日本杯」に参加”を執筆
『プーサン』(大村書店)No.18−2001年春号 “特別企画 南米競馬の真実”(文執筆:田嶋芳郎氏)に写真4枚を提供
『サンパウロ新聞』に以下の記事を執筆(写真含む)
ブラジル、南米競馬関係
1997 5・20 (コラム)サンパウロ大賞(GT)1、2着馬がドーピングで降着処分に
1998 1・21 カルロス・ペレグリーニ国際大賞(GT、アルゼンチン)観戦記〜サンパウロ所属馬3頭が参戦、優勝は地元馬チュージョ(連載『ブエノスアイレス異聞』第2回)
3・18 (コラム)ラテンアメリカ・ジョッキークラブ協会大賞(GT、アルゼンチン)でサンパウロ所属馬が優勝
8・ 5 ブラジル大賞(GT、リオデジャネイロ)はサンパウロ所属馬のクワリブラーボが優勝〜テレビ東京が取材に
第1回「日本杯」レース
1995 11・22 河内洋騎手が到着、ジョッキークラブを訪問
11・24 日本からの訪問団が記者会見
11・25 あす「日本杯」レース〜河内騎手は23日の2レースにも騎乗し5着と1着
11・28 「日本杯」レース結果 優勝はイネイブルトゥールース、河内騎手騎乗のボールドグローリーは着外〜河内騎手は3日間で計8レースに騎乗、1着2回の好成績
12・21 (特集)「日本杯」レース、名手・河内騎手を追って
12・27 『週刊ギャロップ』が「日本杯」レースの河内騎手を紹介
第3回「日本杯」レース
1997 6・27 第3回「日本杯」レース、招待騎手は南井克巳騎手に決まる
8・13 南井騎手が到着、本紙とジョッキークラブを訪問
8・15 南井騎手が記者会見、「日系人の多い町でよいレースを」と抱負
8・16 南井騎手の騎乗レース確定、2日間で計7レースに
8・19 「日本杯」レース結果 優勝はミスダンス、南井騎手のファリゼマは8頭中7着〜南井騎手は7レースに騎乗し掲示板4回
「長良川花火大会」 記念レース
1998 5・30 花火大会当日に記念レース〜「岐阜新聞・岐阜放送賞」と「日本移民90年賞」
6・ 2 記念レース結果
第4回「日本杯」レース
1998 8・13 今年から準重賞に格上げ、日本からの招待騎手はなし
8・18 「日本杯」レース結果 ミスダンスが2連覇

…物書き志望だった当時はいっぱしの記者気取りで書いていましたが、  
いま読み返すと、かなり恥ずかしいです ――