(『サンパウロ新聞』 1995年11月25日付)
〜 第1回「日本杯」レースB 〜
あす「日本杯」レース
河内騎手は23日の2レースにも騎乗し5着と1着
日本とブラジルの交歓レースは去る19日に東京競馬場で「ブラジルカップ」レースが行われ、明日26日にはサンパウロ・ジョッキークラブで「日本杯」レースが行われる。日本杯レースは日本中央競馬会(JRA)、サンパウロ新聞社、サンパウロ・ジョッキークラブ共催により、午後5時40分発走と決定した。
これに出場する河内洋騎手は23日、一般レースに騎乗してサンパウロでの初勝利を上げた。粘る先行馬を直線外から追い込みゴール前で差し切る鮮やかな騎乗で、JRA現役騎手通算勝利数2位の腕を見せつけ、本番の「日本杯」レースに弾みをつけた。
河内騎手はこの日のレースに2回出場。第7レース(3歳未勝利戦、芝1300b、出走14頭)は10番人気のロマナミーア号に騎乗し5着。続く第9レース(3歳未勝利戦、芝1300b、出走17頭)には2番人気のオリンピックスター号に騎乗して勝利を収めた。
ジョッキー室の周りには、同行のJRA札幌競馬場庶務課長・野中亮一氏、フリーライターの加賀谷修氏、来伯中のムツゴロウさんの愛称で有名な作家・畑正憲氏、「日本杯」レースに出走するボールドグローリー号の馬主・鈴木定夫氏らが応援に駆けつけた。
第7レースのロマナミーア号は発汗して落ち着きなく入れ込んでいる様子。サンパウロ初のレースとなる河内騎手は「人気がないようだから気楽に乗りますよ」と話していたが、結果は上位に食い込み手腕の高さを披露。応援の一行は「よく、あの馬で5着に来ましたねえ」(畑氏)と感心していた。
続く第9レースのオリンピックスター号には一行も「チャンスがありますよ」と期待高。また第7レースでの好騎乗にスタンドのファンも刺激されたのか、単勝倍率は一挙に4.0倍の人気に。結果、鮮やかにゴールを先頭で駆け抜けた河内騎手へは、応援の一行とともにスタンドのファンからも拍手が沸き起こり、次々と「おめでとう」の言葉と握手を求める手が差しのべられた。
レース後、河内騎手は「4コーナーで後ろ(の馬)が来ていて外に持ち出した。きわどい競馬だったけど最後まで馬がよく頑張ってくれた」と笑顔。前日の朝行われた馬のトレーニングを見学して「乗り方がうまい」と感心していた鈴木氏は「レースが本当に楽しみ」と語った。
なお土、日曜日の河内騎手の騎乗予定は、25日(3回)、26日(「日本杯」1回)。
25日は第3レース(午後3時40分発走、3歳馬、芝コース1300b、出走8頭)は6番ピルシネール号に、第4レース(午後4時、3歳馬、ダート=砂=コース1200b、出走7頭)は3番シルバーライニング号に、第6レース(午後4時50分、4歳馬、ダートコース1000b、出走9頭)はムツノアマゾン号に騎乗の予定。なおムツノアマゾン号の馬主は畑氏。
(『サンパウロ新聞』 1995年11月25日付 コラム「モザイク」)
サンパウロ・ジョッキークラブで「日本杯」レースが行われる26日は日本の東京競馬場で国際招待レース「ジャパンカップ」(GT)が開かれ、ブラジル産駒のサンドピット号が米国所属馬として2年連続の出走をする。同レースに参戦するブラジル産馬は同馬が初めて。フリーライターの加賀谷修氏は「サンドピットが日本で走る日にサンパウロで河内騎手がレースに出場するのはとても意義があること」と話す。
小生は昔、こんなものを雑誌と日本語新聞に載せちゃいました | ||||
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1997.5.20 | 1995.11.22 | 1997.6.27 | 1998.5.30 | 1998.8.13 |
1998.1.21 | .11.24 | .8.13 | .6. 2 | .8.18 |
.3.18 | .11.25 | .8.15 | ||
.8. 5 | .11.28 | .8.16 | ||
.12.21 | .8.19 |