(『サンパウロ新聞』 1997年8月15日付)

〜 第3回「日本杯」レースB 〜
南井騎手が記者会見
 「日系人の多い町でよいレースを」と抱負

 「ブラジルに来ることができて嬉しい。特にサンパウロは日本と友好のある町だから」 ―。第3回「日本杯」レース(サンパウロ・ジョッキークラブ、日本中央競馬会=JRA、サンパウロ新聞社主催)に騎乗する南井克巳騎手(44)は14日午前、同ジョッキークラブで伯字各紙の記者と会見した。会見で南井騎手は「サンパウロが世界一日系人の多い街ということは知っていた」と語り、当地での騎乗にあたっては「来た以上はいいレースをして、ブラジルを楽しんで帰りたい」とリラックスした表情で健闘を誓っていた。

 この日の会見は、各紙が南井騎手に対して単独インタビューを取る形で行われた。来伯する前のブラジルの印象としては「サッカーが有名。昨日も日本対ブラジルの試合をテレビで見ました」と話しながら、「オリンピックで1回勝ちましたから」と伯字記者に胸を張った。また実際に来伯した感想としては、前日イグアスーの滝を観光したことを上げ、「国が広いことを実感した。ちょっと離れた所にあんな大きな自然があって、行ったかいがありました」と楽しんだ様子だった。

 さらに、今回騎乗するサンパウロが世界最大の日系コロニアを有する都市であることは「天皇皇后両陛下が訪問されたニュースなどで知つていました」と、当地への関心があったことを伺わせた。

 ブラジル競馬への知識について質問を受けた時は、競馬のレベルが高い米国で活躍しているブラジル産駒サンドピット号とサイフォン号の名前を上げ、「サンドピット号が日本に遠征した時には、同じレースで走りました」という。

 またインタビュー直前に馬の調教を終えたばかりとあって、実際に馬に乗った感想を尋ねられた南井騎手は「思っていたのと、それほど変わらない。乗ってみてコースは走りやすかった」と答えた。ただ「驚いたのは河内、岡部騎手から聞いていた通り、調教の仕方が日本と違うこと。例えば、鞍を付けずに裸馬に乗っているのは日本では考えられない。また日本では徐々にスピードを上げてゆくのに対して、ここでは歩かせてから一気に一周させるなど、全てが違う」と話すなど、騎手としての興味を覚えた様子だった。

 最後に、2日間のレース騎乗への抱負としては「ここまで来たので、良い結果を出したい」と謙虚な姿勢で各紙のインタピューに応じていた。

 南井克己騎手は週末の本番を前にした14日早朝、サンパウロ・ジョッキークラプで初めての馬の調教を行った。

 この日は17日の第9レースに騎乗するスーぺルベンセドール号に稽古を付け感触を確かめたほか、本番の「日本杯」で乗るファリゼマ号の調教の模様を見学した。

 「馬は見ているだけではわからないが、乗ってみれぱだいたいはわかりますよ」と話す南井騎手。馬主や調教師らから馬の癖などを聞きながら、当日に向け気分を高めていた。

 また調教師から依頼された騎乗予定以外の馬の調教も行い、「抑えるのが大変、いい馬だ」と良質のブラジル産駒の手ごたえを楽しんでいた。

(『サンパウロ新聞』 1997年8月15日付 コラム「モザイク」)

 読者にこっそり教えちゃおう。17日の第9レースに南井騎手が騎乗するスーペルベンセドール号は前走、前々走ともに6着で人気を落としそう。しかしアバジオ・カブレイラ調教師は「これまでは調子がいま一つだったけど、今回は絶好調。勝つよ」と太鼓判を押していたのでお篇め。ただし、あくまで馬は生き物なので、当日になって体調を崩すこともあります。責任は持てません。

小生は昔、こんなものを雑誌と日本語新聞に載せちゃいました
▽ ブラジル、南米競馬関係 ▽ 第1回「日本杯」レース ▽ 第3回「日本杯」レース ▽ 「長良川花火大会」
 記念レース
▽ 第4回「日本杯」レース
1997.5.20 1995.11.22 1997.6.27 1998.5.30 1998.8.13
1998.1.21 .11.24 .8.13 .6. 2 .8.18
.3.18 .11.25 .8.15
.8. 5 .11.28 .8.16
.12.21 .8.19