(『サンパウロ新聞』 1997年6月27日付)

〜 第3回「日本杯」レース@ 〜
第3回「日本杯」レース 招待騎手は南井克巳騎手に決まる

 サンパウロ新聞社は今年もサンパウロ・ジョッキークラブ、日本中央競馬会(JRA)と共催で、8月17日同ジョッキークラブで第3回「日本杯レース」(芝1600b、3歳以上牝馬)を開催する。これは例年、JRAが誇るトップジョッキーを日本から招待して行っているもので、今年の招待ジョッキーは南井克巳(みない・かつみ)騎手(44)。名馬オグリキャップ号で日本中を沸かせた豪腕ジョッキーとして広く知られており、「日本杯」でのファイトあふれる好騎乗が期待される。

 「日本杯レース」は95年11月、日伯修好100周年を記念して行われたのが第1回。この年招待された河内洋騎手は、同レースを含む全8レースに騎乗し、1着2回、2着2回、4着1回、5着1回の好成績を残した。

 また96年の第2回からは、施行時期を8月に変更。日本のトップジョッキーがさらに来伯しやすいようになった。この年は岡部幸雄騎手が招待され、同じく全8レースに騎乗。1着1回、2着1回、3着2回、5着2回と好結果だった。河内、岡部両騎手ともに海外での騎乗経験は豊富で、有力紙『オ・エスタード・デ・サンパウロ』をはじめ伯字紙でも注目を浴びた。

 今回招待される予定の南井騎手は1971年デビュー。その2戦目で初勝利を上げ、早くから名騎手として素質の片りんを見せている。常にエネルギッシュな全力騎乗をすることで知られていたが、その名が一躍全国に広まったのは92年以降、タマモクロス号、オグリキャップ号の両馬に出会ってからだった。

 特に地方競馬(岐阜県笠松競馬場)で育ったオグリキャップ号は、JRAに移籍して数々の大レースに勝ち、当時日本で知らない人はいないほどの大ブームを呼んだ名馬。南井騎手はこの「芦毛の怪物」と異名を取った名馬とのコンビで多くの名勝負を演じ、時には常識を超えた勝ち方で、広いファン層からの支持を得た。

 その後はトップジョッキーとして、またリーディングジョッキーの常連としてファンの間にも定着。最近はナリタブライアン号ともコンビを組み、同馬をJRA史上5頭目の3冠馬に導いたのは記憶に新しい。

 JRAから送られてきた資料で、南井騎手はこう語っている。
 「あえて(自分の)特徴を挙げるなら騎乗姿勢。騎乗馬すべてに全力を注ぐこと。一つでも前へという『ネバーギブアップ精神』ですね。『豪腕』と言われるのは、それを積み重ねてきたからでしょう。満足しています。『一頭入魂』の証しでもあるわけだから」。

 南井騎手は「日本杯レース」を始め、河内、岡部騎手と同様、他の一般レースでも騎乗することが予想されている。ここではサンパウロの熟練した騎手たちを相手に「ネバーギブアップ精神」でどのような騎乗を見せてくれるのか。8月の本番が注目される。

(『サンパウロ新聞』 1997年6月27日付 コラム「モザイク」)

 その成り立ちの違いから、昔はJRAが運営する中央競馬と、地方自治体が運営する地方競馬とは交流がなかった。南井騎手の名を広めたオグリキャップ号は地方競馬の笠松競馬所に育ったが、天皇賞などの中央の大レースに出走するためには中央競馬に移籍するしかなかった。それが一昨年から、中央、地方の交流が条件付きで始まった。24日、地方の大井競馬場で開かれた帝王賞(GT)には双方の一流馬が出走。地元のコンサートボーイ号が中央の強豪を破って「ダート日本一」の栄誉に輝いている。

小生は昔、こんなものを雑誌と日本語新聞に載せちゃいました
▽ ブラジル、南米競馬関係 ▽ 第1回「日本杯」レース ▽ 第3回「日本杯」レース ▽ 「長良川花火大会」
 記念レース
▽ 第4回「日本杯」レース
1997.5.20 1995.11.22 1997.6.27 1998.5.30 1998.8.13
1998.1.21 .11.24 .8.13 .6. 2 .8.18
.3.18 .11.25 .8.15
.8. 5 .11.28 .8.16
.12.21 .8.19