『アルゼンチンで、競馬。 ’97』 @ A B C 成績表 おまけ
(サッカーのプレーは野蛮だし、閉鎖的な家族主義で、白人ばっかで排他的で、気取ってばかりいやがって…)
↑などと、先ほどの本編ではアルゼンチンにずいぶんと失礼なことを書いてしまいました。
はい確かに、小生は初めてブエノスアイレスを旅する前、そういう偏見を持っていたのでした。
で、実際に訪ねてみてどうだったかといえば、予想に反して(?)親切な人が多かったです(予想が外れるのは競馬だけではないらしい)。
たとえば市内バスに乗ったとき。車内の券売機に料金が違うボタンが2つあって、小生とりあえずお金を入れたもののどっちを押せばいいのかわからず固まっていたら、10代半ばくらいの少年がすっと座席を立ち、黙ってボタンを押してくれました。(あ、安いほうでいいんだ)一瞬呆けた小生、ふと我に返り「すみません」を言おうと思ったときには、少年はすでに席に戻り外の景色を眺めていたのでした。
ブエノスアイレスには8泊しましたが、この町の皆さんは、万事この調子でした。黙してさりげない親切、といえばいいんでしょうか。素っ気ないともいえますが、まあ大都会ですからね、地方に行けばまた違うんだろうと思います。
ただ、一度だけこんなこともありました。小生が町で道を尋ねたところ、その初老の男性は小生の顔を一瞥すらせぬまま、黙って左方向に指をさしたかと思うと、無言のまま立ち去っちゃいました。確かに道は教えてもらったけど、少しヤな感じでした(人種差別とかじゃないと思うけど)。素っ気ないのもほどほどがよろしいようですね。ま、あくまで一回だけの体験です。
ブエノスアイレスにあるパレルモ公園は、とにかく信じられない広さ!(パレルモ競馬場も公園の一角にあります)
このべらぼうに広大な公園内に「日本庭園」があるので、お邪魔してみました。
庭園の職員の方が日系2世で日本語が堪能だったので、パンフレットを頂戴し庭園の由来などをお聞きしました。それによると、庭園はアルゼンチン在住の日系人が手弁当で協力し合って造営したもので、開園は1967年。日本的な樹木や花(桐、イチョウ、松、沖縄桜、梅、桃、etc)、錦鯉(600〜800匹!)などもすべて日系人が寄贈したといいます。ブエノスアイレス市当局の所有になっていますが、管理運営は日系人団体が独立採算で行っているそうです。敷地は約3ヘクタールあるそうで、なかなかの広さです。
9月には800株のツツジが見ごろとか。園内には日本食がある喫茶室もあり、日本文化紹介の催しが年間300日以上も行われているようです。
移住された日本人が力を合わせて造り上げた和風庭園。ブエノスアイレスに行く機会があったら、ぜひ訪ねてみてください。
日本庭園内にある「日本移民 汗の碑」。
日本人である小生が大手を振ってブエノスアイレスを歩けるのも、日本人移民がアルゼンチン社会で苦労の末に築き上げた信用があるから。
そんなことを思いました。
そういう先人たちのことを、私たちは忘れてはならないのだと思います。
ブエノスアイレスの町中ばかり巡っているのもなんなので、市内のオンセ駅から列車に乗ってみました。
終点のルハン駅です。
世界の車窓から ♪ダラッタッタッタラ〜ララ〜…
でかい教会!
中もでかい!
再びブエノスアイレス市内。
韓国人街の風景をカメラに収めていたら、通りがかった若いカップルの男性が「ねえ、僕たち撮ってよ」と声をかけてきました。
人懐こい笑顔でした。
先に(閉鎖的、排他的、気取ってばかりいやがって…)などと小生がアルゼンチン人一般に対していささか偏見を抱いていたと書きました。
でも実際は、こういう人懐こさに出会うことが、たまにありました。少なくともブエノスアイレスの「人懐こさ率(%)」は東京よりはずっと高いと思います。
最初にブエノスアイレスに着いて宿探しをしていたとき。スペイン語の旅行会話帳を見て「ティエネ・アビタシオネス・リブレス?(空いてる部屋はありますか?)」と頭の中で繰り返し反復した小生は、飛び込んだホテルのカウンターで勢いよく「ティエネ・アビタシ」…途中まで言ったら頭の中が真っ白になり後半のフレーズが思い浮かばず固まってしまった。焦る小生。数秒の沈黙。と突然、カウンターの若いお姉さん2人が同時に吹き出して大笑いしたのを見て(小生の様子が相当間抜けだったに違いない)、小生も照れながら大笑い。おかげで、それまでの宿探しの緊張も解けていっぺんに気が楽になったのを思い出しました(その後「英語かポルトガル語でも大丈夫ですよ」と言われ、結局そのホテルに厄介になることに決めた)。
笑いは雰囲気を和ませます。この、突然やってきた見知らぬ客相手に大笑いできる「人懐こさ」のおかげで、小生は打ち解けたような安心感を得ることができたのです。日本のホテルでこんな対応はありえないんじゃないでしょうか。
さて話は戻り。カップルの写真を撮り終えて、ありがと、じゃあね、と笑顔で二人と別れた小生は、後になって「しまった、住所聞いて写真送ってあげればよかった」と後悔したのでした。
あ〜まったく、なんでこう気がきかないんだろう俺は。
白い彫刻やら石像を模した、生きている人間です。
観光客も多く通るような目抜き通りで、このような姿を何組か見かけました。
一種の大道芸のようなものみたいです。
コインを差し上げると、動きます。
ほらね。
ありがとうアルゼンチン。
失礼な表現の数々は、どうかお許しください。
…てな訳で、小生は翌1998年にも「カルロス・ペレグリーニ国際大賞」を観に、ブエノスアイレスを訪れたのでした。